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Don't know much in knee more, let key see early mass.
(ドンノウ マッチイン ニーモー、レッキーシー アーリィ マス)

ドノ町ニモ、歴史アリマス のつもり。

昔々、大きな合戦がありました。

その合戦は「筑後川の戦い」と呼ばれています。

関ヶ原の戦い」、「川中島の戦い」、それと「筑後川の戦い」を日本の三大合戦というそうです。

南北朝時代

鎌倉幕府滅亡後,後醍醐天皇は武士階級の反感を買い,足利尊氏が武家政府 (室町幕府) を再開します。足利尊氏は持明院統の光明天皇を立てて、後醍醐天皇に対抗したのです。

後醍醐天皇は吉野に移り(南朝) 、京都(北朝) の両王朝が対立します。

その頃、九州地方では、菊池一族などの南朝勢力と、足利尊氏側の一色範氏や仁木義長などの勢力が争いを続けていましたが、南朝は勢力を強化するために、後醍醐天皇の皇子である懐良親王を征西将軍として派遣し、北朝勢力と攻防を繰り返しました。

そして時は、1359年。

南朝方の懐良親王、菊池一族らと、北朝方の少弐頼尚、少弐直資の父子、大友氏時、城井冬綱ら両軍合わせて約10万人が筑後川を挟んで戦いました。

この戦いに敗れた北朝方は大宰府に逃れます。そしてこの後、10年ほど、九州は南朝の支配下に入りました。

その後は、九州の南朝勢力も徐々に衰退し、室町幕府から派遣された今川貞世によって大宰府が奪回されます。

地名に残る筑後川の戦い

〇 毘沙門岳城(久留米市御井町)・・・ 懐良親王が高良山に置いた本陣。

〇 山隈城(花立山)・・・北朝方の少弐頼尚が置いた本陣。

〇 高卒都婆(小郡市大保) ・・・筑後川の戦いにおける死者を葬り、僧侶数千人で供養した地。

〇 前伏【東町公園】(小郡市小郡)・・・少弐頼尚の本陣が置かれた場所。

〇 宮の陣神社(久留米市宮の陣5丁目)・・・ 筑後川を渡り、懐良親王によって置かれた本陣があった場所。

〇 五万騎塚(久留米市宮の陣3丁目) ・・・筑後川の戦いにおける両軍の戦没者を敵味方関係なく弔うために築かれた大塚。

〇 大刀洗川(福岡県大刀洗町) ・・・戦いの後に、菊池武光が川で太刀を洗ったという言い伝えが残っています。

久留米でひときわ目立つのが「高良山」。形が何とも神々しい山です。ここは「卑弥呼のお墓」だという説もあります。一度、訪れてみてはどうですか。徒歩で山頂まで40分程度です。

 

 

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